西荻窪にあるコーヒー豆の名店「珈琲職人」が閉店していた話。

西荻窪にあるコーヒー豆の名店「珈琲職人」が閉店していた話。

過去3度ほどコーヒー豆を購入しにいったことがある、西荻窪の「珈琲職人」が閉店していました。

珈琲職人に出会ったとき

珈琲職人に出会ったのは1年前のある日。

彼女と西荻窪をぶらぶらし、雑貨や古道具などを探していました。西荻窪には何かしらあるとは知りながらも、何があるかわからなかったので、とにかくお店がありそうな方向をただ歩いていきました。

閉店している店が多い。ほとんどの飲食店は閉じているし雑貨屋も不定期開店っぽく、1度訪れればすべてを周れるようなショッピングモールとは全く違うものでした。

シャッターが立て続けに並ぶ道のりを1キロほど歩いた頃でしょうか?急に雰囲気が変わりました。全くお店のない住宅街エリアが見えてきたため、折り返すことに。せっかくなら来たのと違う道を進もうと、1つ隣の道路を歩きました。少しして見つけたのが珈琲職人です。

珈琲職人の豆

珈琲職人の豆は、店主が1つ1つしっかりとピックしていて、毎月ピックを終えると20キロものダメな豆(傷やカビモノ)が生まれると語っていました。それほど細かく豆を選別しているのですから、不味いわけがありません。

エチオピアの「イルガチェフ」やTheモカといわれる「アールメッカ」などすべてがこだわりの豆だと職人は語りました。確かに、どの豆も香りを活かして焙煎されている。家に帰ってから、頂いた豆でコーヒーを淹れると、心地よい香りが部屋中に広がります。中でも、珈琲職人ブレンドは今まで飲んだすべてのコーヒーで一番おいしかった。僕は基本的にスペシャルティのシングルオリジンしか豆を購入しませんが、唯一ずっと購入し続けたいと思ったブレンドの豆ですね。

たけみや
たけみや

残念ながら、毎回売り切れで、1度しかもらえませんでした。

僕がいつもお世話になっている「常盤珈琲焙煎所」やもう少しグレードを下げると「カルディコーヒーファーム」など、コーヒー豆を販売しているどの店舗よりも、正直こじんまりとしていて、、ファーストインプレッションは「じめっとしているね」という感じでした。

しかし、その空間から生み出されるコーヒー豆はまさに天下一品。どの豆にも負けないと思っています。世界中から取り寄せた豆。その個性をそのまま活かした焙煎を行っており、職人本人もそこには誰にも負けないほどのこだわりを注いでいると言っていました。しかし、どれだけ豆を活かしても焙煎者の個性が必ずにじみ出てしまう。「その個性を好んでくれる人が今も、このお店に通い続けてくれているんだよ」という話を、2度目来店した時にしてくれたのかな?

僕は珈琲職人でコーヒー豆を買ったとき、ハンドドリップでサービスコーヒーを淹れてくれたとき、家に帰ってから自分で淹れてみたとき、香りを楽しみながらゆっくりと飲んだとき、ハイペースで飲みすぎてしまいすぐに豆がなくなってしまったとき。そのどれもが幸せな時間でした。

珈琲職人との話

こうやって文章を書いていると、当時のことを思い出すみたいです。

せっかくなのでもう1つエピソードを。

3度目に訪れたときは少し体調がすぐれていなかったようで、あまり話せませんでした。なので、これも2度目の話になりますかね?そのときは「おいしいコーヒー」について語ってくれました。

職人は語りました。

「おいしいコーヒーは温度ですべてが決まる。最初は92度のお湯でむらし、そのあとは87度のお湯で注ぐと雑味が出ないからおいしくなる。でも、こうやって御託や知識だけを並べても全然だめ。何より大切なのは純粋に楽しむことだ。」と。

職人は、1990年代に商業音楽家(ギタリスト)として活動していたそうです。商業音楽のバックミュージシャンとしてスタジオで楽曲づくりをサポートしていて、それだけで十分なメシを食うことができていたと。

そこから、時代が移り変わりDTMが普及。時代の波に逆らわず、その時強い興味を示していたコーヒー豆の職人になったそうです。

ギタリストとして活動していたとき、いつも心に言い聞かせていたことがあったそう。それは、職人が子どもの頃にやっていた、フルート(うろ覚えです)の先生からいただいた言葉。「自分のアジを出すんじゃなく、楽譜に書かれているそのままを演奏するんだ。間違っても自己主張してはいけない。それを楽しめるようになったら一人前だ」と。

続けて職人「先生の教えがずっと頭の中にあるから、スタジオミュージシャン時代に自分のアジを出すのではなく、求められていることを忠実に実行できました。それは今も変わりません。音楽もコーヒーも同じようなものです。」と。

僕はこの考え方が本当に好きでした。

そして、その考え方が根幹にあったから、こんなにもおいしいコーヒー豆を作れたのでしょうね。

もしかすると僕は、この話をするために珈琲職人へ行っていたのかもしれません。

僕も何かの職人になりたい

この記事を書きながら、僕も何かの職人になりたいなぁと思いました。

でも、職人ってなりたいという不純な動機でやっているわけではないと思うのです。自分の良いと思うことにただ純粋に取り組んでいるだけで、、その年月が職人を生むのだと。

だから僕も、自分の良いと思うことに全力で取り組んでいきたいです。職人のようにそこまでの忍耐力を持って取り組むことはできるのでしょうか?

たけみや
たけみや

今のところ一番近いのは、押入れ職人ですかね?笑

珈琲職人への後悔

自宅から少し遠く、あまり頻繁にはいけないお店だったため、1年で3度ほどしか訪れることができませんでした。そして、4度目訪れたときにはもぬけの殻となっていました。

こんなことなら、もう少し通えばよかったです。このお店を超えるコーヒー豆屋には出会ったことがありませんし、これからも出会えないと思うと、残念でなりません。

が、職人にはぜひともゆっくりと休んでいただきたいです。