石川人の銭湯マナーが良すぎるのはなぜか、考察してみた

石川人の銭湯マナーが良すぎるのはなぜか、考察してみた

石川に帰省してきたら欠かさずに必ず行うことがある。それは、家族や友人と銭湯に行くこと。

お正月の帰省で2〜3日程度しか取れなかったとしても、仕事が忙しかったとしても、開いてる銭湯を探して入りに行く。銭湯に行かなかった=実家に帰らなかったのかな?くらいの感覚。

東京にいると、銭湯なんて全く行かないから、僕の非日常を石川県で補っている感じだ。

ルールがほとんど書かれていないのに皆マナーを守る

そこでいつも思うのは「石川県の銭湯マナーが良すぎる」ということだ。何度か東京、名古屋、群馬など県外のお湯にも入らせてもらったが、、

石川県出身の僕からすると、どの県も正直マナーがなっていないと思ってしまうほどだ。

掛け湯をせずに浴槽に入るのは当たり前。入墨の集団が露天風呂を占領しているし、洗い場には使っていない洗面用具が置きっぱなし。という感じだ。

もちろん、石川なら、
絶対にみんな掛け湯をして浴槽に入る。入墨の人はほぼいない(人生で1度しか見たことない)し、洗い場は使い終わったら、椅子を洗って桶を重ねておくことになっている。それが「洗い場を使っていない」のサインとなるからだ。

しかし、こんなルールはお風呂場のどこにも書かれていない。かろうじてA4半切りほどの石板に「掛け湯をしてから浴槽に入ってください」と書かれているだけ。

ルールがほとんど明記されていないのに、皆マナーを守れるのはなぜなのだろう。地元にいた時はそういうものだと考えていたが、東京での生活も7年目。流石にその違和感に気づいた。

親から子へ、子から孫へと代々伝えていく

ルールを皆が守るのは、お風呂に入る時の作法を、代々伝えているからではないかと思う。

実際、僕自身も祖父と風呂に入りながら、ルールを学んだ。学んだというよりは、ものごころつかない頃から一緒にお風呂に入り、体に染み込ませられたという方が正しいかもしれない。

多分、石川に生まれた子どもは皆、同じような経験をしていると思う。親から子へ、子から孫へとお風呂のお作法を伝えているからこそ、みんなが気持ちよく使える銭湯ができているんだろう。

面子や仲間意識を重要視する

石川県に住む人はみんな銭湯が好きだ。おそらく、「生まれてから一度も銭湯に足を運んだことがない」という人の方が珍しいのではないだろうか。そのくらい、学校や地域でもそういった話が頻繁に出る。

友達同士で銭湯に行くことは当たり前で、仕事終わりに友人とゆっくり話しながらお風呂に浸かっている人は多い。昨日も、昼間働いたであろう人(おそらく電気工事業者の方?)が同僚と一緒にスチームサウナに入っていた。

友達と一緒に入りに行く上で、意識しなければならないのは「お風呂場で恥ずかしいことをしない」ということだ。

かけ湯をせずにお風呂に入るなんて言語道断。タオルを湯船につけたり、体を拭かずにサウナに入るのも恥ずかしいことだ。

お風呂に入るだけでも、田舎特有の仲間意識が働いている。

自分が恥ずかしいことをすれば「そんな奴と遊んでいる恥ずかしい奴」というふうに友人も巻き込んでしまうことになるから、仲間の面子を守るためにも、皆きちんとマナーを守っているのだと思う。

石川に来たらぜひ銭湯へ

今回、石川人の銭湯マナーについて書いてみたが、正直なところ、文章ではあまり伝えられていないかもしれない。

何故なら「文化」というのは理解するのが本当に難しくて、自分がその文化の中心に入り込まないと、どれだけ言葉を並べても理解しきれないからだ。

だから、もし今度石川に訪れる機会があったら、ぜひ石川の銭湯というものを体験してほしい。

石川出身の集団が集まってワイワイしていることもあるが、皆ちゃんと邪魔にならないように、配慮して楽しんでいるから、僕のように孤立した余所者っぽい人が入ってきたとしても、暖かく歓迎してくれるので大丈夫。

おすすめは、チェーンなら

満天の湯 白山インター店
加賀ゆめの湯
湯来楽 内灘店

あたり。そこにしかない場所に行きたいなら、

テルメ金沢
西圓寺温泉
せせらぎの里

この辺りがおすすめだ。ここら辺を選べば、山中温泉とか加賀温泉とかのように、観光地化されていないから、本場石川の銭湯文化が楽しめる。(石川県の人は山中、加賀温泉など滅多なことがないと行かない)

ぜひ自分の目と身体で、この空気感を体験してほしい。