なくなってしまうことに悲しみを感じる僕の性格。

なくなってしまうことに悲しみを感じる僕の性格。

何かが消えてなくなる。

このことに悲しみを覚えたのは、いつだろうか?もしかすると、生まれた瞬間からかもしれない。

もちろん、知り合いが亡くなったり、親しみ深かった場所がなくなったりして悲しみを感じることは、多くの人にとって共通の認識だろう。

しかし、僕の場合は

  • あそこのビルなくなったんだって〜
  • ショッピングセンターのテナントが1箇所変わる
  • 昨日まであったペットボトルがなくなる(誰かが捨てた)
  • ティッシュがなくなる

このことすら「悲しい」と感じることがある。昔なんか酷くて、家から持ち出したペットボトルを他の地で捨てることができなかった。極端に表現すると、家族をどこかわからない地に放り投げて逃げるような感覚だった。

もう20余年生きているのだから、流石に昔よりは悲しみを感じる機会は減ってきたが、それでも「なんで俺今悲しいんだろう?」とふと我に帰ることが、1年のうち数回はある。

また、昔よりも悪化したなと思うところがある。全く縁もゆかりもないはずの地が、少し変わることにすら悲しみを感じる場合がある。

たけみや
たけみや

なんなのだろう?

最近、令和6年能登半島地震があった。僕は現地で被災した身だったが、正直、避難してからは「1日ってこんなに長かったんだ」と思うほど、時間がたっぷり用意されていた。村上春樹のアフターダークと、カート・ヴォネガットのホーカス・ポーカスをじっくりと読んでもまだ余りある時間。

その時間を使って「なくなってしまうことに悲しみを感じる」自分の性格について考えることにした。

なくなってしまうこと

まず、僕にとって「なくなってしまうこと」とは何かを考えた。

人が亡くなる、ペットが亡くなる、モノがなくなる、友達ではなくなる、水がなくなる、やる気がなくなる…などなど、なくなる表現はたくさんあるが、どのワードを聞いても、少し悲しい気持ちになることに気づいた。

こういう時は、言葉本来の意味を知るのが最善策だ。だから、辞書で「なくなる」と調べてみた。中でも一番わかりやすかったものをここで引用させていただく。Weblio辞書だ。

なく‐な・る【無くなる/亡くなる】
読み方:なくなる

㋐今まであったもの、持っていたものがない状態になる。「夢が—・る」「痛みが—・る」

㋑盗まれたり、紛れたりして、見当たらなくなる。「網棚の荷物が—・る」

㋒使ったり、減ったりして、尽きる。「資金が—・る」

「無くなる」の意味は読み方:なくなる (無くなる) ㋐今まであったもの、持っていたものがない状態になるのこと。Weblio国語辞典では「無くなる」…
www.weblio.jp

「なくなる」について調べたことで、僕にとっては新しい発見があった。それは、「㋒使ったり、減ったりして、尽きる」の部分についてはあまり悲しみを感じないということだ。

おそらく㋐、㋑は受動的に「なくなる」状態を指していて、㋒は能動的?に「なくなる」からだ。僕は、何か別の力によってなくなることに、強い悲しみを抱くのかもしれない。

なくなる瞬間を目撃できれば少しは理解が追いつく

なくなる瞬間を目撃できれば少しは理解が追いつく

そう理解すると、納得しやすい。

たしかに、、たとえば、大型店舗を取り壊すときに「閉店します」という案内が1ヶ月ほど前からされていれば、少しは理解が追いつく。(それでも取り壊される1ヶ月間は息が荒くなっているが。)

そして、取り壊される当日、少しでもその状況を目撃できる状態になってはじめて、自分の心の整理がつくから、やはり、何か別の力によってなくなることに強い悲しみを抱いている。

一方で、全く案内がなく、急に取り壊されるような状態ならば、その対象が小規模のコンビニエンスストアだったとしても深い悲しみに打ち拉がれる。

目に見えず起こる時代の変化が嫌なのかもしれない

少し話は変わるが、僕は新しいものごとに目がない少年だった。誰も手にしていなかった「iPod touch」は1世代のときに購入しているし、スマホを購入してもらうときは、ホーム画面を極限まで自由にカスタマイズできるAndroid端末を切望した。そして、購入してからはいじり倒し、スマートフォンの中に家具(に見立てたアプリアイコン)を置いたりして、自分ならではの楽しみ方をしていた。

他の子はみんなiPhoneを。買ってもらえない子は安売りされているAndroidをという感じだったから、自らそちらを選ぶのは少々珍しいことだと。

少し話はそれたが、ここからもわかることがある。それは、できれば僕自身が時代と併走したいということ。

僕の目に映ったものは全て「友達」のような感じで、、友達がいなくなるとものすごく悲しいように、近くにあったはずのコンビニや飲み終わったペットボトルが、僕の進んでいる時代のその途中で止まることに対して、すごく悲しい気持ちになってしまう。

もっというならば、その状況を確認できていれば、理性をもってして制御できるが、自分の視界にないところで何かが急激に変化することには、追いつけないのだ。

これこそ「エゴ」という感じだが、これ以外に表現できる言葉が見つからない。

悲しくても世界は少しずつ変わっていく

何かが消えてなくなる。

このことは僕が「生きづらい」と感じる最たる例だ。この悲しみを解決する方法が今の現代において、何1つないからだ。

ミニマリストに今すぐなれるなら、何かが消えてなくなる瞬間を減らせるのだから、とても合理的で素晴らしいと思う。けれども、ミニマリストになるためには自分から「友達」を1つ1つ捨てていかなければならない。おそらく、僕はその過程で心がパンクしてしまうと思う。

今のところ最も心が軽くなる方法。僕の中で最有力なのは、逐一写真に閉じ込めておくこと。写真を見返すことで、喪失感による大きなダメージを軽減することができる。とはいえ、写真を見返すとまた胸がいたくなるから、ダメージを分割して摂取しているだけなのだが。そして、もしかするとそこには利子が発生していて、一括で支払うよりもより多くのダメージを受けているかもしれない…

大学時代4年間過ごしていた寮(取り壊された)から離れることを強いられたときに行った方法だ。少しダメージは軽減されたと思っている。

悲しくても世界は少しずつ変わっていく。

緩和する策を考えながら生きていかなければならない。

たけみや
たけみや

少し暗い内容になってしまいましたね。でも、同じような人が、数万人に1人くらいいるかなと思って、書くことにしました。もし、ご意見があればお問い合わせからぜひぜひ。