ゴジラ-1.0のレビュー|リアリティが恐ろしさと感動と馬鹿らしさを生む。これが人生か。

ゴジラ-1.0のレビュー|リアリティが恐ろしさと感動と馬鹿らしさを生む。これが人生か。

そもそも僕は、あまり映画を見る口ではない。1年に1回ほど、気分が上がっていて、かつ仕事の余裕が生まれた時。映画を見に行こうとする。うまくいけば映画館まで足を運ぶ。

ちなみに、ここでいう「仕事の余裕が生まれた時」というのは、業界から干されて仕事がなくなったということではない。仕事はあるけれど、たまたま運が重なって、1日だけ余裕がある日のことだ。

これが2日余裕のある日だと、映画に行こうとは思わない。なぜなら、不安が勝ってしまうから。仕事がなくなり、業界から干されたのではないかと不安に苛まれて、映画というエンターテインメントを楽しむ余裕は全くない。

1日余裕がある日。つまり、不安はほとんどなく、むしろ仕事が片付いていて爽快感がある。こんな日は1年に1回ほどしかない。

たまたま、今日がその時だった。

特に「映画を見よう」と思って朝を迎えたわけでもないが「おそらく14時だろう」と起きたのが午前中だったから、、

3時間ほど得をしたような気分になり、嬉しくなって「映画を見よう」と思いたったのだ。

ところで、この清々しさは、以前のアレに似ている。それは、2年ほど前の話だろうか。

その日は「絶対にエヴァンゲリオンを見る」と心に決めて朝を迎えた。絶対に見るために前日、徹夜で仕事を終わらせて昭島?拝島?の映画館を訪れた。

その時もそうだったが、なぜか、僕が映画を見に行こうと思った日はほぼ映画館は貸切状態だ。平日の夕暮れから行動を開始しているからなのか、そもそも映画館で映画を見ること自体を「不思議」と感じる人が多いからなのかはわからない。

そんなことはともかく、そんな日に見る映画は最高だ。ここでしか得られない栄養を摂取できる。今回見た「ゴジラ-1.0」も例外なく最高だった。ただ、これは今日という清々しい日に映画を見れたから、最高だと感じているのではないと思う。

作品が素晴らしかったのだ。だからこそ、こうして映画から帰ってきた当日、重い腰をあげてブログを書けるのだ。

鉄は熱いうちに打て。思い立ったが吉日。とはよくいったものだ。本当に素晴らしいものを見たときには、目にした瞬間に赤色の鉄を叩くし、吉日かどうかなど気にする前に1日が過ぎてしまう。

前置きが長くなったが、早速本題に移りたい。

適宜ネタバレあり

だが、1つことわっておきたいが、この作品について語る上ではどうしてもネタバレが発生してしまうと思う。

書もそうだ。勢い余って紙からはみ出てしまうくらいが、最高にクールで、自我を忘れて誤字が発生するくらいが美しいと思う。いちいち手本を見ては、一人前ではない。

私も文を書く際は、できる限り思考をストップさせたくはないのだ。少しでも文法や誤字脱字、これはネタバレになるから言ってはいけない……

などを考えていると、中途半端なものができてしまうから。

じゃあ、あとで消せば良いじゃん。

という話だが、これも違う。そんなことをすると、偽りの感想になってしまう。

だから、ネタバレOKな方だけ、ここから読み進めていただけたらと思う。

すでに公開から半年ほど経っているので、もうそろそろ見ていない人はこの記事を読まないだろうと思って、この判断に至る。

といっても、ストーリーをそのままなぞるというような低レベルなことはしたくないので、必要に応じてストーリーを小出ししていくだけなのだが。

ゴジラ-1.0の感想

山崎貴監督だ!と意識して鑑賞した作品は全くないが、Wikipediaなどで調べなくても「永遠のゼロ」が監督の作品であることくらいは知っている。(執筆後に調べたら、鎌倉ものがたりやAlways三丁目の夕日もやっているんですね。好みすぎるので、やばいです。)

映画館ではみていない。たまたま金曜ロードショーでやっていたのをお菓子を食べながら見ていただけだが、あの小さなテレビで見た映像ですら迫力がものすごかった。幼いながらに見たあの映像は今でも脳裏に強く残っている。

いったんそれは置いときたいのだが、やはり、山﨑貴監督の話をするためには永遠のゼロについて考えなければならない。不可抗力だ。

まず、ゴジラ-1.0と永遠のゼロに共通する部分、戦闘機のリアリティについて。本物を操縦していたのか?もしくは、生まれ変わりというものがあるのなら、前世の記憶を今世に持って来ることができたのか?と疑ってしまうほど、緻密に表現されている。

今回は、映画が始まってすぐ、飛行している戦闘機が画面中央に現れる間もなく着陸するのだが、着陸の際、2度タイヤが地面に着く。1度目はタイヤが一瞬つき、再度地面から離れる。2度目でブレーキが効き、着陸した。

僕は戦闘機のことは全くわからないが、車と同じで、2段階ブレーキを踏むことで、滑走距離を短縮できるのだろう。この辺りは現時点で憶測であるため、後で正確な情報を調べよう。

実はこのリアリティある着陸風景がすぐ先の伏線となっている。「指摘された場所に不備は見つからなかったのですが…」という疑いの目をより強める効果があったのではないかと推測している。

だめだ、この調子で語っていては、映画よりも長い文章が出来上がってしまうため、折を見て割愛しなければならない。

この例を出したのは、「リアリティ」にこそ山崎貴監督の良さが滲み出ていると感じたからだ。戦闘機しかり、邪険に扱ってきた隣人は物語が進むにつれて心強い味方になったり、主人公の「嘘」は生きることによって「本当」に変化していく部分だったり。

このあたりの絶妙な描写が視聴者の没入度合いを高めている。

もう1つ、監督の魅力を言葉でまとめると「語られないはずの物語」を生み出すことが得意であるところだろうか。

今作においては、結論、そうではないのだが、永遠のゼロのように、死んだ主人公の話。というか、物語を客観的でもあり、主観的でもあり、カメラをパスするように、スムーズに物語が進んでいくところだろうか。

嘘・フィクションというと薄っぺらいが「本当はあったけど、誰も見ていない話」をリアルに表現するから、そこに物語が生まれ、そして、千と千尋の神隠しのラストシーンのような悲壮感が生まれると思う。

今作では、その辺はラストで良きように回収されてしまった?(反戦という意味では永遠のゼロよりもわかりやすく、批判している人たちはこっちの方が満足すると思うが。)こともあり、抑えめであったとは思うが、滲み出てしまっている。

最後に「バカする」とか「わがまま言う」という部分を出すことで、人間性を表すことに成功している。

例えば、主人公の浩一は戦争のトラウマを克服するためにゴジラに何度も立ち向かう。若干無茶なことをする。

典子は、育てられるわけもないのに、知り合いから子どもを受け取り(これは本当なのか?まぁいいが)、浩一の家に無理やり押しかける。

自分が死ぬかもしれないのに、浩一を押して助けたり。(この辺りは母性性を表現しているのか)

坊主は頭を下げてなのか、十を超える戦艦を説得したり、そもそも作戦に協力した一般人は、命があったもんじゃないのに、そんな作戦に乗るなんて、なんとバカだろう。だが、そこがかっこいいし「戦争よりマシじゃねーか」という、あの皮肉めいたセリフは痺れた。

あと、少しメタ的な発言になるが、これは事前情報でなぜか知っていたので、少し触れようと思う。典子演じる浜辺美波は、相当運動オンチらしい。そんな浜辺美波は、1/1スケールの電車の手すりにぶら下がると言うスタント的な役をさせられたらしい。

参照:浜辺美波、『ゴジラ』撮影秘話「1両分の電車を作ってくださって…」

この辺りも山崎貴監督の「わがまま」だし、それに付き合わされた浜辺美波は「バカする」ことになった。この辺りも人間味あふれるなぁと思う。(シン・仮面ライダーといい、浜辺美波は今後も無茶をさせられそうな予感がしている。)

まだまだ語りたいことはあるが、いったん、終わりにしよう。なぜなら、眠くなってきたからである。また書き足りなかったら追記していこうと思う。

とはいえ、もしかすると「君たちはどう生きるか」のように2度見なければならない作品かもしれない。

もしくは、僕自身、ゴジラについて知識がなさすぎる故、全体の3割ほどしか楽しめていない可能性がある。それはものすごくまずいので、これを機に、ゴジラシリーズを拝見しても良いかもしれない。

もしくは、文脈は違うかもしれないが、近日公開される「ゴジラ×コング 新たなる帝国」を見て、よりモチベーションを高めてからゴジラシリーズを完遂するのも良いだろう。

ちなみに、ゴジラを全く知らない僕だが、今作は超楽しめたので、人類全員におすすめしたいくらいだ。義務教育でしか使われない「100点」という物差しでは、到底評価できないかもしれない。

たけみや
たけみや

ちょっと作品のテイストからずれてしまいますが、ゴジラ、ちょっと可愛いですよね。顔がまんまるで愛着が湧きます……