毎日を記録しないと、その日が消失する。

毎日を記録しないと、その日が消失する。

今日もあのコンビニへ行った。

深夜行きたくなる少し遠いコンビニ。人でモノを買うこと。
僕は、歩くことが好きだ。なぜなら、思考が整理されストレスが少し緩和されるから。 そこは、1年ほど前、作業に行き詰まった深夜「ちょっと歩くため」に行ったコンビニ。…
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深夜に行きたくなる少し遠いコンビニ。

徒歩8分のところにあるというが、本当なのだろうか?考え事をしながらゆっくり歩いているからか、徒歩15分くらいかかっている気がする。

そうだよな。だって、ホリエモンの対談動画をつけて歩いて、コンビニについた時には別の動画が流れていたから、15分はかかるのか。

その15分は何も考えずに、ただ薄暗い住宅街を歩くだけだから、とても心地いい。

そこを曲がって、あのセブンイレブンを超えて…なんて一切考えず、無心で歩けるくらいには通い詰めている。そんな場所だ。

今日も作業詰めで、精神的に休息を求めていたので、夜中の徘徊を始めた。

実は、今日書くブログのテーマが全く決まっていなかったので、それを見つける時間に充てようと思い、財布とAirPodsと家の鍵だけ持って出かけたわけなのだが、正直なんも思いつかなかったから、こんな記事を書いているわけだ。

「仕事とプライベートの両立が必要だな」とか考えたけど、それは昨日この記事で書いたし、、

仕事について考えたこと。ビーカーが溢れては困る。
僕が仕事に対してどういう風に向き合っているか、という話。あまり参考にならないかもですが、書き残しておきます。 たけみやが考える…「仕事」とは? ゲームだと思って…
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お金使いすぎているからやばいなとか思ったけど、お金なんて所詮数字なのだから、話の広がりがないなぁとか思った。

唯一これなら書けるな~と思ったのは「毎日記録しないとその日が消失する」ということ。

毎日は消失している

簡単な話、1週間前のことを思い出せるかと言われれば、ほとんどの人が「No」というだろう。そういうこと。

何かハイライトがなければ、1週間前の時間をワンパッケージとしてとらえて、抽象的な感想を述べると思う。その時、その場所、その空間、その匂いだからこその感覚というのは完璧には抽出できない。

たとえば、今レモンサワーを飲みながらこの記事を書いているが、アルコールが入っているとは思わないくらい頭がさえている。しかし、この記事をあとで読んだ「僕」は「あいつ酔っぱらいながら書いていたんだなぁ」と考えるわけだ。

なんか、この話もどこかで書いたなーと思いつつも、書いてないかもしれないから、なかったら書こうかな。

話を戻すと、何かに記録をしていれば、その日は消失しないが、何もしなかったら記憶は消失してしまう。

今日、精神的につらくなったから、いつも深夜に行くコンビニへ足を運び、ご飯を買いに行こうと思った。いつも使っているLAKOREで購入した小さくなる、うす紫いろのショッピングバッグを持って歩くわけである。

道にゴキブリがいる。あの黒光りは必ずや避けなければならないから、余白をとり、進むべき角度を変え、横断歩道を渡った。少し進んだところには2連の横断歩道がある。距離が長く、ミスると1度目の横断歩道を渡り、中央の小島に取り残されてしまう。

取り残されるということは、信号を2度待たなければならないため、ロスタイムになるわけだ。だから、そこを使うものはみな自転車で渡るか、走って渡るか。はたまた、自信がない人は隣の1つしかない横断歩道を渡ってから、万全の状態で2連の横断歩道を渡るのだ。

今回は、走る自信がなかったので、先に1つの横断歩道を渡った。

前には2人の女性が。夜に知らない女性と遭遇すると、なるべく距離をとった方がいいなと本能的に感じて、少し歩を緩めたり、逆に猛スピードではるか前方へ進んだりする。しかし、今回は2人が全く異なる絶妙なスピードで歩んでいた。1人は猛スピードで、もう1人はハンズフリーで電話をしながらゆったりと。

僕は、猛スピードで進む女性が、マラソンでいうところの「あ、こりゃ追いつけないな」と感じるくらいの距離が開くまで、もう1人の女性の2分の1以下のスピードで歩いた。

その後、僕が「追いつけない」と確信した瞬間、一気に加速。ゆっくり歩いている女性を追い抜いた時、どう思われただろうか?女性は男性がひれ伏すほど鋭い感性を持っているので、今の一連の思考をすべて一瞬で理解したかもしれない。

2人の女性とは違う方向へ歩んだので、僕は心を落ち着かせて思考に戻った。

その時、ショッピングバッグに手が引っかかる。どうやら、ずぼらな僕は、バッグの中に何かを入れたままにしていたらしい。それを確認すると、今日の昼、コンビニで支払いを済ませた税金のはがきと、ローソンで販売されている「スッパイマン」のお菓子。

ありゃーこれがあるなら、別にコンビニ行かなくても小腹満たせたじゃん。とか思うのだが、すでに半分以上の道のりを歩いていたし、またタイトなスパンで2連の信号機に出会うのは癪だったので、一切スピードを緩めずに歩いた。

余談だが、梅が好きな僕は「スッパイマン」を見ると・食べると異様にテンションが上がる。3~4歳のころ、親から与えられていた?ような気もするし、それもあるのかもしれないが。

それで思い出した。父方の祖母が黒糖を舐めさせてくれていて、それを母が阻止していたという話(笑)でも、母は僕に「スッパイマン」を与えてくれていた気がする。どっちも変わんないと思うが(笑)どちらも沖縄の商品だから、何かと沖縄には縁があるのかなとか思ったりする。

そんなこんなで、そのあたりを歩いているときに「毎日は消失しているなぁ」と思ったんだ。

昨日の出来事はぜーんぜん覚えていないし、1年前のことを思い出せと言われても、無理。写真を見てもすべてのシーンを思い返すのは難しい。あれほど楽しんだ旅行だとしても、その時系列すらまともに思い出せないのが人間の悲しいところだと思う。

毎日、全ての事象を事細かにメモできたら絶対に忘れないんだろうけど、そんなことは不可能だし、その細かいメモを見ている、その瞬間の記憶はどうする?とか考えると、毎日は消失しているなぁと。

だからこそ、消失する毎日を追いかけながら、私は私である必要があると思う。

私が私であれば、今日やったことも明日やることも、1年前の忘れてしまった記憶も私の姿である。しかし、私の心を無視して努力したり、何か特別なことをやってストレスを与えたりすれば、それは完全に私が私でなくなってしまう。

今この瞬間を大切にして、私は私らしく生きていき、消失していく日々を追っていけば、毎日が楽しいんだろうなと思う。

何かがきっかけで、それは、友達との対話かもしれないし、自分がその時、その場所、その空間、その匂いを感じる何かに出くわした時、消失したはずの記憶が再起され、懐かしくもはかなく、それでいて何故か涙が出そうになる、感情をかき混ぜられる体験に襲われるかもしれない。

それは光栄なことだと思う。