仕事について考えたこと。ビーカーが溢れては困る。

仕事について考えたこと。ビーカーが溢れては困る。

僕が仕事に対してどういう風に向き合っているか、という話。
あまり参考にならないかもですが、書き残しておきます。

たけみやが考える…「仕事」とは?

  • ゲームだと思っている!
  • ミスっても反省しない。次違うことをすればいい!
  • 頭を空っぽにして機械的に動く!とにかく動く!
  • 怒られたら無視!右から左へ!

こんな感じです。
というのも、自分ができる仕事には限界があると思っているから、いろいろ諦めているんです。

人によって大きさは違いますが、みんな、ビーカーを持っていて、そこに仕事・プライベートという液体を注いでいく。


僕はそのビーカーが結構小さい方です。

溢れると、わけわかんない行動をしてしまうので、溢れないようにと心がけています。

頭が持っていかれると、人生の歯車が狂ってダメになっちゃうので。

という感じ。

こう考えている背景としては、多くの方(特に日本人!)は「仕事」の液体量が98%かよ!というくらい支配されています。

たけみや
たけみや

僕も含めですね。


それが本当に楽しいことで、ノンストレスでできるなら、めちゃめちゃ応援するし、うらやましいなぁーと思います。


しかし、ちょっとでも自分の神経をすり減らしている感覚があるなら、勇気をもって断ち切った方がいいです。

最低でも仕事のリソースを70%程度に落として、残りはプライベートや自分に今必要なこと、大切な人に時間を使いたくないですか?

人生は有限です。

それなのに、みんな何かしらに流されながら生きていて、気づけば自分の思い描いていた方向とは全然違う場所に行ってしまう。それでも全然いいです。が、それがいいと思えないのであれば、今流されている状況に気付き、それを変える何かしらの工夫が必要だと思います。

目標を見失っているというわけではありません。ただ流されているだけ。

流されない芯を持つ。

  • 朝起きるのが苦手→朝起きない
  • 考えるのが苦手→考えない
  • 仕事をするのがつらい→仕事しない
  • あの人が嫌い→あの人とかかわらない

これが芯を持つことです。

そして、この芯は絶対に守らなければならない。自分の芯を守ることが、生きていくことの本質だと思います。

資本主義のせいで、社会全体が「お金を稼ぐ=正義」という流れに則って進んでいます。

その方向は本質的なのか?と問いかけてみると、おそらく本質的ではない。しかし、みんな流されるので、本質的であるかのように、いわば洗脳されているということでしょうね。

まずは洗脳されていることの事実をしっかりと受け止め、そのうえで洗脳されたままでいいのか、そこから脱却するべきか、自分はどっちが楽で、生きている価値を見出せるのかを考えることが、幸せをつかむ第一歩だと思うのです。

人に合わせないというのは、そういうこと。

ビーカーの大きさは人それぞれ

前述したビーカーは、人によって大きさが全く違います。

僕は100mLしか入らないビーカーを持っているが、つり革につかまって立ち寝しているサラリーマンは500mLも入る。僕は50mLしか仕事に使っていないけど、彼は480mLも使っている。

その場合、僕は残りの50mLで人生を有意義に過ごすために、古道具を買ったり、物思いにふけったり、ゲームをしたりできるが、残り20mLの彼は、会社の飲み会に顔を出すことしかできない。

どちらが人生を楽しんでいると思いますか?


なかなか難しいとは思うのですが、自分の心をいたわるためにも、心の安息を優先したいところです。