考えることが減っている

考えることが減っている

最近危機感を覚えている。昔は自分のこと、他人のこと、世界のことをずっと考えていて、毎日歩かなければ消化できなかったエネルギーが

今は消化しなくても何とかなるくらい、何も考えない日々を送っている。

何も考えないというのも語弊があるな。

考えてはいるんだけど、効率化されすぎているというか。

問題について考えても、ある程度素早く回答を導き出せる感じ。

それに嫌気がさしているわけではなく、考えることが面倒くさいから、考えなくてよいこの時間いいなぁーと思っていたことに対して、汗の冷たさを感じているこの頃です。

昔は、自分が未熟だったからか、解決できない問題がもっとあった気がする。

あと、解決できない問題が現れた時に諦める、無視するという能力を身に着けてしまったもんだから大変だよな。

こういう変化を若者は”老害”と呼ぶんだろうな。

ずっと若い自分でいたいと思う僕にとっては、非常に恐ろしいこと。大人の仲間入りをしてしまっているのかと思うと…

もっと馬鹿げたことに時間を使ってもよいのではないかと考えています。

1日、半野宿は素晴らしい経験だし、支離滅裂な怪文書を作ることも乙だなと思う。あんまり知らない人とデートをするのもいいと思うし、昔痛いほど聞かされたラルクアンシエルをもう一度楽しむのもいいなと思う。

取り戻しても忘れているほど、深い深いところにあるピースを拾い集めて、気づけば2度すれ違っているのも粋だなと思う。

小さい頃、急すぎる階段に足をかけて1段踏みしめるたびに太ももが張る感覚をもう一度取り戻したいなと思う。それは難しいんだろうけど。

あと、階段を登り切った時、後ろを振り返った少年は何を考えていたんだろう。

そこにある不気味な雰囲気を小さな体で受け取っていたのか、今の考え方の羅針盤となる何かを得ていたのか。

全く思い出せないが、灯油の香りを感じるたびに、あの温度と視線を思い出している気がする。

あの頃のぼくが、今の僕を見つめていたらどう思うんだろう。

変わらないなと思うのか、少し寂しい感覚を覚えるのか。それとも、実はあの時にすべてが決まっていたのか、そんなことを考えると、ちょっと楽しい。

そう考えると、何も考えないことは悪いことではなくて、自分をへんに変えないための充実した時間なのだろうか。

いずれにせよ、日々のワクワクは必ず心にとどめておこう。