明日を綴る写真館のレビュー|写真は自分自身を写し、文章は自分自身を書いている

明日を綴る写真館のレビュー|写真は自分自身を写し、文章は自分自身を書いている

今日も思い立ったので、映画を見に行った。

「明日を綴る写真館」

それ以外、見たい映画がなかった。

気分的にアメコミではないし、名探偵コナンを見るつもりもさらさらなかった。

でも、何か映画が見たかった。

それで、たまたま見つけたのが「明日を綴る写真館」

平泉成が80歳にして初主演の映画だと。

ダブル主演?

あれか。アイドルを使ってバズを狙う色物映画か。

とか色々と思うところはあったが、宣伝ムービーやWebサイトはなんだかインディーズ感のある仕上がり。

もしかすると、めちゃめちゃいい映画なのでは?と思い、試しに見てみた。

思い立ったら行動せざるを得ない自分。他にやることはいっぱいあるのに、全然合理的ではない選択をしてしまう。

だが、その非合理による出会いは、いつもいい結果を引き起こす。

今回も、人生で忘れられない、忘れてはいけない1ページとなった。

写真は自分自身を写す

メッセージは、最初から最後まで一貫していて、とてもストレートなものだった。

写真は自分自身を写す。

相手を撮っているようだが、写真には自分が写っている。自分と被写体の関係性、写真に馳せる思い、空気などが写るというメッセージが一番伝えたいところだったのだろう。

そんなことは、わかっていた。

わかっていたが、いい写真を撮ろうとするほど、忘れがちな部分。

僕も写真を撮るが、ついカッコ良い写真を撮ろうとしてしまう。そこ集中してしまうと、被写体との関係性や写真に対する想い、空気感が疎かになってしまう。

こんなにストレートなメッセージなのに、心に引っ掛かりが。何故だろう。この感覚は伝わってはいるが、感覚的なものであり言語化できないから、文章の限界を感じているのだろうか。

この物語のあらすじを少し。

華々しいキャリアを持つ若者「太一」は、まさにかっこ良い写真を撮るカメラマンだった。何度も賞を受賞する気鋭カメラマンの彼だが、平泉成演じる「鮫島」の写真に心を奪われ、弟子入りすることに。

太一は「鮫島さんの写真は音がするんです」と。

その「音のする写真」を撮るために鮫島の写真館で働く。

鮫島と話をするうちに。近くのケーキ屋の娘「景子」や実母の「冴絵」と関わるうちに、少しずつ太一の心に変化が生まれてくる。

そう。関係性だ。

関係性こそ、写真には重要だ。

この話は、誰かから以前に聞いた気がする。

写真は関係性だから、ポートレートを撮るのは俺じゃない方が良い。

(彼女を撮影して、いつもいい写真が撮れないのは、関係性が良くないからではないだろう…写真を撮りますと言っていないからだな。むしろ、撮った写真を見せてからの一瞬の笑い。あれが撮れればめちゃめちゃいいのに。)

文章にこの話を持ち帰る

「文章」も「写真」と同じ。

自分自身を写す鏡だ。

自分が考えていることしか、書けない。

相手のことを理解するほど材料が揃い、書けることが増えていく。

書かないと後悔することがある。

「書く」を「撮る」に変換すれば、写真を表すことばになるだろう。

Webライターという仕事をしていると、遠隔作業になりがちだ。というか、今はリモート作業ができる非常に便利な世の中で、僕自身その方が良いと思って、フリーランスという立場を貫いている。

しかし、リアルで会うということ。そして、相手との関係性を構築することは、文章の執筆作業よりも重要。このことに気付かされた。

(この映画を見なくても、最近感じていた部分ではあったのだが…)

1枚の写真の力

1記事の力

これを忘れずに、今後活動していければと思う。

2,000円以下でこんなに多くのことを学べるのだから、やっぱり映画はコスパがいい。