「文章を書いて仕事をしている」と人に話すと
どんな文章を書いているんですか?
文章を書いてなんで稼げるんですか?
といった質問を投げかけられる。
ビジネス系の文章を書くことが多いです。依頼者の持つメディアに記事を投稿することで、興味を持つ方がどんどん増えていきます。その集客によって発生する利益の一部を僕たちWebライターがもらっているみたいな感じなんですよ。
と回答すると、
なるほど!すごいですね!!仕事内容もそうですけど、全く知らない人にこれほどわかりやすく説明できるのが本当にいいなと思います!
的な感じで褒めてもらえることが多い。
僕的には、言葉を生業にしているのだから、この程度の質問に答えられなければライターとして活動できない…とも思うのだが、、
自分の思いを言葉にするのは、実は結構すごいことらしい。
そういったことをしていると「たけみやに相談すれば何かしら解決してくれる」と思うようで、
度々いろんな方から
ねぇ聞いてください。〜〜〜なんですけど、どう思いますか?
と相談を受ける。
相談というのは、僕の人生では出会えないような悩みを含んでいることが多いから、その問題を解決できた時、僕もものすごくスッキリする。だから「相談に答える」というのは結構自分の性に合っていて、好きなことの1つだ。
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悩みの相談を受けて解決することが正義だと思っていた
相談に回答すると、相手の悩みを解決できるから「正義」なのだろうと思っていた。僕はクイズに正解できたような感じで結構スッキリするし、相手も疑問を晴らせて嬉しそうに帰っていくから。
しかし、深く考えてみたところ「もしかしたら自分だけが利益を得ているんじゃないか?」と思うようになり、今まで相談を受けてきたことが怖くなった。
もしかすると、相談を受けて解決することは悪かもしれないと。
僕は人にあまり相談したことがない
僕は、人に”あまり”相談したことがない。
あまりといっているのは、ある時期までは普通に相談していたからだ。おそらく、大学1年生入学のタイミングまでは親に相談していたのではないかなと思う。自分の考え方が定まっていなかったため、どうやって一歩踏み出せばよいか戸惑っていた。
そうやって相談した時、必ず親からはこう言われた。
自分で考えた?
辞書で調べれば出てくるでしょ。
当時の僕は、そもそも自分で考えることができないから親に相談していたのだ。「自分で考える」ということすらわからなかったし、辞書(インターネット)で調べるのが「面倒臭いこと」で、人に聞いた方が早いと思っていた。
しかし、どれだけ質問しても「自分で考えろ。辞書で調べろ」の一点張り。当時はちょっとムカついていたところもあったと思う。
ただ、そんな僕も大学進学のために上京することになって…オンボロ寮で4年間を過ごすのだが、同期は「彼女がさ〜」「マッチングアプリが〜〜」という感じで、全く話が合わない人しかいなかったし…
先輩たちは部屋で麻雀三昧。大学単位を落として2留3留みたいな人たちばかりだったから、誰にも相談できなかった。なので、僕は自分で考えることを強いられたのである。
自分が成長してきた理由は「人に聞かなかった」から
この時、奇しくも強いられた「人に聞かない」ということが、今の自分を作っていると思う。
人に聞かない=何かしらの方法で問題を自己解決しなければならないということだ。小さいところで言えば、洗濯の方法が分からないなら、インターネットで検索する。月のバイト代で収まるよう飯を食べるなら、どんな食材を使うべきかについて調べなければならない。
大きいのでいえば、就職活動に必要な資料の作り方を調べたり(就活はしていないが)大学の履修登録で満たさなければならないルールを厳守するために、400Pほどある手引書を読み漁ったりもした。
そのすべての「疑問」に対して、一切人に頼ることなく自分で解決してきたし、認識ミスで少し間違えたとしても、カバーする方法について考え、大事には至らない「リスクヘッジ策」をとったりした。この経験があったから、突然起こる問題に冷静さを欠くことなく対処できていると思う。
自分で解決する筋力が付いてくる
問題を自己解決するという経験を100、200と積み重ねていくと、自己解決にかかる時間がどんどん短縮される。極端な話、昔の自分では解決ができなかった難しい問題も余裕で解決できるようになるし、1時間ほど解決にかかっていた悩みを5分で解決できるようになったりもする。これを僕は「自己解決する筋肉がついた状態」と呼んでいる。
筋トレ初日の人が100kgのバーベルを持ち上げるのは難しく、トレーナーの力が必要だと思います。でも、30kgからはじめて少しずつ重量を上げていき経験を積むと、100kgのバーベルを持ち上げられるようになります。それと一緒です!
また、何かをはじめる瞬間にその中にはらんでいる「問題」を察知でき、そのリスクヘッジ策を考えた状態で取り組むことができる。例えば、1週間後納期の仕事を先延ばしにするか、今するかを考える場合、今やっておかないと、後ほど別の依頼が発生したときに対応できないから、リスクが生じる…今やるべきだ。
というような感じで考えられる。
相談を受ける=筋トレを邪魔していることなのでは?
少し話を戻そう。
ここまで話してきた前提をもって考えてみると、どうだろうか?いろんな方から相談を受け、悩みを解決してあげている僕は「解決力の筋トレを邪魔している人」にならないだろうか?
僕に相談してくれた人はインスタントに問題を解決できるという点で価値を感じてくれていて、一見良いことのように見えるが…
「自分で考えて解決できる人になる」という可能性部分を僕が奪っていないだろうかと考えてしまった。
しかもタチが悪いのは、僕がライターだということ。人の心をコントロールする能力を持ち合わせているわけで、耳ざわりのいい表現で回答してあげることもできる。それはあまりやりたくないため、意識的に避けるが、職業病か。滲み出てしまう…
それで相手は満足してしまい、また、悩みが発生したらたけみやに相談したくなる。
相談できる状況を僕が作ってしまっているのである。
考えさせる回答を
そんなわけで、
ダメなことをしていたな
と猛反省し、最近は何か相談されたら「〜〜〜という意見だよね?実際、それどう思っているの?」それを聞いて〜〜〜と俺は感じたんだけど、それについてはどう思う?」
というように、相談者がたくさん発言できるような回答方法を取り入れるようにしている。僕が思った正解があったとしても、最低10分くらいはダンマリすることにした。
理由は、相談者が自身の言葉で悩みを整理できるようにするためだ。このスタイルなら筋トレを手助けしつつ悩みを快方に導いてあげられる。
そして、実際にやってみるともう1つ副産物があった。それは、筋力不足のラインがわかりやすいということ。
このスタイルで相談に乗っていると、相手自身の言葉で説明できない現象と向かい合ったときに少しずつイライラしてくる。これは「自分が自分を理解できない」という境界線を表していて、この部分がまさに筋力をつけなければならないところなのだ。
僕はそこを突いてあげることで筋トレを手助けできるし、今どれだけの解決筋を持っているのかがわかる。そして、そこを探って状況を明快にすることが僕の楽しみにもなるから、モチベーションも蔑ろにしていない。
この相談の受け方なら、筋トレを邪魔する「悪」にはならないと思う。
人間は弱いが今の時代は1人で生きていける
ここまで、相談を受ける僕の視点で書いてきたが、最後に、相談者側の視点でも書いてみようと思う。
まず、大前提として相談する側は「今の時代は1人で生きていける」ということを理解しなければならない。YouTubeやSNS、ブログなどで検索をかければ、9割9分ほとんどの情報が手に入る時代になった。悩みからキーワードを導き出して、今の自分に必要な情報を収集することは難しくないと思う。
東京駅で美味しいごはんを食べたいなら「東京駅 ごはん」って検索するじゃないですか?それと全く同じです。
たしかに、誰かに相談し、解決筋力を鍛えない方が今この瞬間だけを切り取ると楽だと思う。だが、今努力して筋力をつければ、同等程度の問題が生じたときにその筋肉を使えるから、次問題が発生したときにリアルタイムで解決できる。多分、そこまでくると人に聞くよりも素早く解決できる。
昔は情報が少なく、本を読むか人に聞くことでしか解決できないこともあったと思うが、今は違う。1人で情報を得られるのだから、必要な情報は自己完結できるようになりたい。
そして、検索でひっかけることが難しい専門的な用語、これも、動画のインタビューなどを見ていると誰かがその解説をしてくれていたり、専門用語を口にしたりしてくれるはずだから、気になればそこから再検索をかけて情報を収集できると思う。
今起こった悩みの相談をするのではなく、解決したあとの悩みを語りあえるクリエイティブな人たちが周りに集まるといいな。