ときどき小説①:マンホールの質量が脳内で変化している。

ときどき小説①:マンホールの質量が脳内で変化している。

1957年5月28日から行われた核実験、プラムボブ作戦をご存じだろうか?

同実験はネバダ核実験場で開催され、合計29回行われた最大規模の核実験だ。

その中でも、8月27日に行われた安全性検証実験「パスカルB」は、とある理由で今でも語り継がれる伝説となった。

パスカルBでの実験は、152メートルの縦坑の中で核を爆発させ、どのような影響があるかを図るものだった。地上につながる開口部には重さ900キロ、直径1.2メートル、厚さ10センチほどのマンホールが設置されていたという。もちろん、溶接で地面にしっかりと固着されていた。

しかし、核爆発を行ったその瞬間、マンホールの溶接は溶け、蓋は吹き飛んでしまった…

そう。文字通り、天高く吹き飛んでいったのだ。

しかも、人知を超える圧倒的な速度で。

ロケットを打ち上げるために必要な速度は、時速4万km程度らしい。

この速度を出すために人類は協力し、実験を行った。その功績によって、1957年10月4日、世界初の人工衛星「スプートニク1号」が打ち上げられたのである。

しかし、残念ながらこのマンホールは、人類の英知の結晶を簡単に粉々にするほど、圧倒的な速度だ。核爆発で飛び上がったマンホールは、時速約20万km。簡単に大気圏を突破した。

ついでに、2024年現在でも、この人類史上最速記録はいまだ破られていないらしい。

とまぁ、圧倒的な速度によって一躍有名人となったマンホール。マンホールと呼び続けるのも面倒くさいので、ここからは「マイケル」と呼ぶことにしよう。特に理由はないが。

このマイケルは、今も1人さみしく宇宙に漂っていると想像されている。どう動いているかはわからないが、多分、新たな星を探し続ける永遠の旅を心に決め、地球に帰ることをあきらめた宇宙飛行士と同様に、今行ける最も遠くの場所まで動き続けているのだろう。

ところで、人はだれしも気分屋で、急にこれまでの日課を辞めたり、新しいことを始めたりするものだ。もし、マイケルの気分が急に変わり、地球に向かってくると仮定してみる。

宇宙空間に漂っているマイケル(マンホール)と、どこかの惑星のかけら(隕石)ではどちらに恐怖感を覚えるだろう。おそらく「隕石が落ちてくる」を想像したほうが恐怖を覚えるのではないだろうか?

「大変です!マイケルと呼ばれるマンホールが明日、地球に墜落します!!」というニュースを想像すると(大変なことなのだが)笑けてしまう。

しかし、もし頭上100m、もうすぐ地球に着弾する段階でマイケルと隕石が落ちてきて、その瞬間この世のすべてを思い出す走馬灯が起こったとしたら、どちらに恐怖を抱くだろう。

大きさや形状が同じだったとしても、上空から降ってくるマンホールにとてつもない恐怖を抱くことになるのではないだろうか?

人工物によって私が死亡する、自然発生ではなさそうな出来事にとてつもない恐怖感を覚えるのか、はたまた、隕石の距離感とマイケルの距離感にはギャップがあり、人は、許容範囲に入った時にはじめて恐怖・感動・悲哀するのかはわからない。

いずれにせよ、宇宙に漂うマイケルと、今にも着弾しそうなマイケルでは質量が違う。