本日の気温は21度。
渋谷で大雨警報が発表されていたらしいが、こちらは全く影響がない。
というか、7年ほどテレビとは疎遠になっている僕は”天気”のような”わりとどうでもいい”情報はシャットアウトしている。
最近は税金があがるだの、物価高騰だの、株価暴落だの…そんな情報も追っているとついストレスを感じてしまうので、全く追いかけなくなった。
意図的に無視することも大事だなぁと思うこの頃。
今日は久しぶりにカフェを訪れ、納期に追われ続けていた当時のことを思い出しつつ、少しゆっくりとした時間。自分にとって本当に大切な時間を過ごすために、このブログを書いているかもしれない。
駅前のタリーズ。
自分を見つめ直すタリーズ
大学生のころ、町田周辺に住んでおり、定期的に駅前にあるタリーズへと通っていた。僕が大柄な体系であれば、やっと直立できるだろうという、小さなエスカレーターを上った先にいつもの作業環境があった。
コーヒー1杯420円を払えば、コワーキングスペースが手に入るのだから、とてもいい時代だなと思う。
平日の昼間に訪れれば、いつも2割くらいしか席が埋まっておらず、基本的には作業に集中できる。ペンをカチカチする人や、インスタ映えの話をする人などはあまりいない、町田にしてはびっくりするほど治安のよいタリーズだった…
この良さを引き継いで、今は別の駅にあるタリーズに足しげく通っているのである。(最近は家での作業だったため、久しぶりか…)
このタリーズも割と民度がいい。しゃべっている人もいるが、店内のシューというコーヒー焙煎音?抽出音?に音域が溶け込んでいて、心地よい雑音として認識できる。
そして、店舗はワンフロア。全部合わせてざっと100席程度か?そのうち40席くらいのユーザーは仕事や勉強をしているから、こちらも気兼ねなく作業ができる。
たまにMTGしてるサラリーマンとかいるし。
ちなみに、地元石川に帰った時も本屋についているタリーズがお気に入りスポット。ここは席数少なめだが、本を読んでいる人や勉強している学生が集っていて、作業しても全く問題なくて嬉しい。
といった感じで、3店舗が僕のコワーキングスペースだったわけだが、実は知らないうちに1店舗が消失していた。
町田のタリーズ。
この間ふらっと、あのがむしゃらに記事を書き続けていた時のことを思い出そうと足を運んだら、そこはとんかつ屋さん?になっていた。
あまりの変容ぶりに正直、ファンタジー映画を見ているよう。直感的にハウルの動く城を思い出した。(深く考えると破綻しているが、ずっと頭にこびりついてしまうからちょっと嫌…)
今目の前にあるリュックサックがここに存在するのは、トイレに丸ごと置き忘れても誰かが助けてくれた民度の良さによるものだし…
中古のMacが「ピー」という音を出して、約1分間電源を落としても止まらなかったヒヤリを、周囲のみんなが暖かい目線で見守ってくれたから、今もWebライターを続けられていると思う。
ホームがなくなるのは割と悲しいなぁと思う。とはいえ、常に変化する状況を追い続けるのはストレスがかかる。追っかけていれば、気づいたかもしれないし、最後、気持ちを落ち着ける時間が作れたかもしれないが、気づかないとねぇ…
これまでに出会った人の誰かしらが、気づかないうちに亡くなっていたとして、今それに気づいたとしたら、悲しくなるけれど、この時点では悲しくなっていない…という状況がなんとも複雑で。
自分でも都合が良すぎて悲しくなる。
なんかこのあたりの考え方に折り合いをつけないと、次のステージには行けない気はする。が、いまは無理だと思う笑
時間がない…
みな時間がない…というよなと思って。
でも、多くの人は時間を作る努力をしない。僕もその1人ではあると思う。
時間を作る方法は多分3つ。
①何かをあきらめる
②他の人が絡む予定はうまく断る
③効率化して時間を作る
このバランスがめちゃめちゃ難しい。自分は②は不可能(なんか楽しいと思っちゃうし)①も割といやだから、③効率化に全振りするしかないけど、なかなかうまくいかない的な感じの悩みがあったり。
多分、このあたりのバランスは人によっても違うけれど「時間がない…」と言ってる人はどこかが破綻して、そういう問題に陥っていると思う。
とはいえ、どうやって破綻から解消すればよいのかと…考えてもなかなか方法はなく、まずはどれか、無理やり快方に近づけないとだめなんだろうなとか思う。そこにはめちゃめちゃ大きなリスクがあるが。
たとえば、①何かをあきらめるについては、2日間何も食べないで作業するとか、寝ないとか、趣味の〇〇をやらないとか。
それでストレスはたまるから、一番ストレスを感じないものをあきらめるとか。
②他の人が絡む予定はうまく断るとかだと、病気になったふりをして仕事を休むとか、そのくらいの全力を尽くして時間を作るしかないだろうし、③効率化のために全神経を集中させる必要があったりするかもしれない。
結局「覚悟」という言葉に帰着するのだろうけど、その言葉の背後には数々の欲求が含まれていて、すべてを避け続けなければならないという修行僧としての訓練が必要になってくると思う。
僕がWebライターを目指した最初のころは修行僧としての努力を本当に惜しまずにできたし、本当に食と趣味を捨ててやっていただろうから、今思うと、あの頃の自分には本当に頭が上がらない。
若かったから?体力があったから?ちょっとわからないのだが、どうにかしてあの頃の自分を取り戻せたら時間を生み出せるのだろう。
自分の話ばかりしているが、裏を返すと今この記事の読者に問いかけていることでもある。
「死ぬ気で努力した」と自信を持って話せるエピソードはありますか?
もしあるなら、それを呼び戻すことはできますか?
ないなら、今作りましょう。覚悟を持ち続けることはできますか?
→とか言って、スクールに勧誘するやつありますよね…笑
絶対に勧誘はしないし、特にサービスはないので、なんともですが、何か感じたことがあれば、お問い合わせから送ってくれればすべて読みまする。